中国語の副詞「就」って、何か強調だって教わったけど、入れたり入れなかったり、とてもじゃないけど、自分で使うのは不可能だと感じる方がとても多いですよね。
色んな角度からの解説、そして正しく使われている中国語の文に触れていくのが良いのですが、今回は一つ【近い】という視点でこの「就」を見ると理解できるかもしれないということをお伝えしたいと思います。(就は実は動詞として「近寄る・そばに寄る」という意味もあるので、その感覚をちょっと持ち込むというイメージでも良いです)
この【近い】というのは、前後の内容がすごく近いということです。
ここでは以下の3つの使い方を【近い】で捉えながら解説していきます。
使い方①「すぐに」を表す
可能很快就会下雨。
間もなく雨がふるだろう。
これは「很快(近々という時間)」と「会下雨(きっと雨がふる)」というのが近いので、「近々雨が降るはず」という淡々とした分ではなく「近々すぐに雨が降るはず」という時間的な近さを表します。
時間的な近さを表すので、他にも「马上」なんかとはすごく相性が良くて、よくセットで「马上就~」と使われます。
马上もすぐにという意味なのに、それじゃあ意味が重複してるじゃんと思うかもしれませんが、马上を「間もなく」という時間を表す言葉と捉えると、それとその後に起こることが近いということで理解がしやすくなりますね。
使い方②「理由・条件・仮定」をうける
我如果听了妈妈的话,现在可能就不会感冒了。
私がもし母親の言う事を聞いてたら、今は風邪引いてなかったのに。
これは前段の“我如果听了妈妈的话”という仮定の話があって、もし母親の言う事を聞いていたら、ということですが、この「母親の言う事を聞いた」という自分と「不会感冒」ということが結びついていると考えます。
なので「母親の言う事を聞いてたら(そしたらもう)風邪引いてなかったのに」というように、それらの関係が近いということを表します。
そのため、理由・条件・仮定と就も相性が良いです。
因为◯◯,我就✕✕。
◯◯だから、私は✕✕する。
というように「◯◯」という理由があるので、それと「自分が✕✕する」ことがすごい近い関係だということですね。なので、こうした就は強調の就と言われることも多いです。
就が無くても良いのですが、あるとその近さを表せるので、やはり淡々とした文ではなくなりますね。
使い方③「まさに」「本当に」を表す
运动就跟吃饭睡觉一样,是我每天必须要做的事情。
運動は食べたり寝たりと同じように、私が毎日必ずやらないといけないことだ。
これは「运动」と「吃饭睡觉」が同じということですが、やはりこの2つがぴったり近くて、ホントに同じだよねというニュアンスで、それで「まさに」と訳されるものです。
そのため、就像という感じで像とも相性良く使われます。
我就不明白了。
私はわからないんだ。
この文も「私はわからないんだ」と訳すと、その訳の中には就が無いように感じますよね。でも、就がある場合は「我」と「不明白」がぴったり近くて、もう同じ点の上にいるくらい、それくらいに「我」は「不明白」なんです。
なので、例えばですが「私は(本当に)わからないんだ」というように「(本当に)」でもつけてそれを表すくらいになるかもしれません。就があると無いとではやっぱり同じではないですね。
我就要这个。
私はこれが欲しい。
なども同様に我要这个とは違って、本当に欲しいというニュアンスが出ますね。
まとめ
発生時点や概念などがありますが、いずれも就があることで、話し手や書き手(発信してる人)がこれは近いんだという気持ちがあって、それらが反映されているものだということを解説してきました。
無くても通じるけど、そうするとやや淡々としたものになってしまうと考えると良いかと思います。
よく「アウトプットを鍛えるためにはアウトプットの練習が必要」と言われることがあったりしますが、本当に大切なのは、こうしたことまで感じながらインプットをするということ。これが感じられないと自分でそれを使うことはできないですよね。
大切なのは「良質なインプットを沢山と、アウトプット」というのが正確ですね。
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