中国語の兼語文とは?種類や作り方、使う理由を解説

中国語の兼語文とは?種類や作り方、使う理由を解説
中国語の兼語文とは?種類や作り方、使う理由を解説
ニャース

「这里有人在跳舞」や「感谢你帮我买东西」のような文を「兼語文」と言います。

なぜ兼語文というのか、兼語文にはどんな種類があり、どう作るのか、そしてなぜ兼語文を使わなければならないのかについて気になる方が多いと思います。

この記事ではこれらにフォーカスして解説します。

中国語の兼語文とは

兼語文とは文の動詞の目的語にあたる部分が、同時に後続部分の主語にもなっているものを言います。

这里有人在跳舞。(ここにダンスしている人がいる。)

例えば上記の文では、「人」は「有」の目的語になっていますが、同時に「人」は「在跳舞(ダンスしている)」の主語にもなっていますよね。「人」が目的語と主語を「兼」ねていることから、このような文を「兼語文」と言います。

兼語文の種類と作り方

兼語文が使える文には制限があり、一部の動詞しか兼語文にできません。その動詞の種類によって、兼語文は大きく以下の5種類に分けることができます。

  1. 使役の意味がある動詞の兼語文
  2. 受身の意味がある動詞の兼語文
  3. 好き嫌いなど、感情を表す動詞の兼語文
  4. 「有・没有」など存在・所有を表す動詞の兼語文
  5. その他の動詞の兼語文

兼語文の種類がそれほど多くないと知ったところで、兼語文の作り方を種類別に見ていきます。

使役の意味がある動詞の兼語文

使役の意味がある動詞(以下、使役動詞)とは、「让(~させる)」「叫(~させる)」「请(~してもらう)」のように何かをするように働きかける意味を持つ動詞のことです。

以下にこのような特徴を持つ動詞をリストアップしてみました。

  • 让  ~させる、~するように言う
  • 约  ~に誘う
  • 叫  ~するように言う、~するように呼び掛ける
  • 喊  ~するように言う、~するように呼び掛ける
  • 请  ~してもらう、~に食事をおごる
  • 找  一緒に~するように言う
  • 鼓励 ~するように鼓舞する
  • 邀请 ~に誘う、~するように招待する
  • 派  ~に行くように命じる
  • 令  ~させる、~するように命じる(文語的な用法)
  • 命  ~させる、~するように命じる(文語的な用法)

使役動詞を使った兼語文はすなわち使役文です。そう、中国語の使役文は兼語文の一種なんです。使役文の作り方は以下の通りです。

主語+使役動詞+目的語+動詞(+目的語)

例えば、「母は私に早く寝るように言った」は次のように言います。

妈妈让我早点睡觉。(母は私に早く寝るように言った。)

分解して見ると

妈妈(主語)让(使役動詞)我(目的語)早点(副詞)睡觉(動詞)

この文では「我」が使役動詞である「让」の目的語と、そのあとの動詞の「睡觉」の主語を兼ねていますよね。このように使役文では、使役動詞の目的語が必ず後ろの動詞の主語にもなるため、使役文は必ず兼語文になっています。

使役文は日本語にもある構文のため、それほど難しく感じることはないと思います。しかし、日本人学習者がよく誤解しがちなのは、使役文の意味です。

「让」が「~させる」の意味だと思って、「妈妈让我早点睡觉」を「母は私を早く寝させた」の意味だと思ってしまう人が少なくありません。

「妈妈让我早点睡觉」はあくまで母が話者に早く寝るように「働きかけをした」のであり、話者がもう寝ているかどうかまではわかりません。

受身の意味がある動詞の兼語文(=受身文)

受身の意味がある動詞(以下、受身動詞)とは、「被(~される)」「挨(~される)」のように受身を表す動詞のことです。

以下にこのような特徴を持つ動詞をリストアップしてみました。

  • 被  ~される
  • 叫  ~される(口語的な用法)
  • 让  ~される(口語的な用法)
  • 给  ~される(口語的な用法)
  • 受  ~される、~を受ける、~に遭う
  • 挨  ~される、~に遭う
  • 遭  ~される、~に遭う
  • 为  ~される(文語的な用法)

受身動詞の兼語文はすなわち受身文です。作り方は以下の通りです。

主語+受身動詞+動作主+動詞

例えば、「私は先生に褒められた」は次のように言います。

我被老师表扬了。(私は先生に褒められました。)

分解して見ると

我(主語)被(受身動詞)老师(動作主)表扬(動詞)了(助詞)

ニャース

辞書を引くと「被」は前置詞に分類されていることが多いですが、元々動詞だったため動詞の色が濃く、ここでは便宜上「受身動詞」としました。

好き嫌いなど、感情を表す動詞の兼語文

喜欢(好き)、讨厌(嫌い)など、感情を表す動詞もよく兼語文に用いられます。

以下にこのような動詞をリストアップしてみました。

好きを表す動詞

  • 喜欢  好きである
  • 看中  見て気に入る
  • 佩服  感心する、敬服する

嫌いを表す動詞

  • 讨厌  嫌いである、いやである
  • 嫌   気に入らない、気に食わない
  • 嫌弃  気に入らない、気に食わない

非難を表す動詞

  • 怪   責める、~のせいだと思う
  • 怪罪  責める、とがめる
  • 责备  責める、とがめる
  • 笑   笑う
  • 嘲笑  嘲笑う

感謝を表す動詞

  • 谢谢  感謝する、有難く思う
  • 感谢  感謝する、有難く思う

これらの動詞を用いた兼語文の作り方は以下の通りです。

(主語+)感情動詞+目的語+動詞(+目的語)
※感情動詞の兼語文は主語がしばしば省略されます。

例えば「物を買ってくれてありがとう」は次のように言います。

感谢你帮我买东西。(直訳:あなたが私のために物を買ってくれたことを有難く思っている。)

分解して見ると

感谢(感情動詞)你(目的語)帮我(私のために)买(動詞)东西(目的語)

感情動詞の兼語文では、後ろの部分が「主語の感情が起こる理由」の説明になっている場合がほとんどです。

例えば、

感谢你帮我买东西。(あなたが私のために物を買ってくれたことを有難く思っている。)

という文の日本語の言い方を変えると、「私のためにものを買ってくれて、ありがとう。」になるので、「你帮我买东西」の部分が「感谢你」の理由になっています。

また次の文でも、

老板怪他工作不认真。(社長は彼が仕事が不真面目なのを責める。)

日本語訳をより自然なものにすれば、「彼は仕事を真面目にやらないから、社長は彼を責める。」なので、「他工作不认真(彼が仕事を真面目にやらない)」の部分が「老板怪他(社長は彼を責める)」の理由になっています。

「有・没有」など存在・所有を表す動詞の兼語文

存在・所有を表す「有・没有」などもよく兼語文に用いられます。作り方は以下の通りです。

(主語/場所+)存在を表す動詞+人/もの+動詞(+目的語)
※主語はしばしば省略されます。

例えば「この世に彼を知らない人はいない」は次のように言います。

世界上没有人不知道他。

分解して見ると

世界上(場所)+没有+人+不知道(動詞)+他(目的語)

「彼を知らない人はいない」のように、場所を言わない文もできます。

没有人不知道他。

分解して見ると

没有+人+不知道(動詞)+他(目的語)

その他の動詞の兼語文

上記に含まれない動詞も兼語文に用いられることがあります。以下に一部をリストアップしてみました。

  • 接  迎える 
  • 送  送る 
  • 带  連れる 
  • 领  引き連れる 
  • 等  待つ 
  • 轮到 ~の番になる 

以下は例文です。

接(迎える)の例文

今天我去学校接孩子放学。
(今日私が子どもを迎えに学校に行く。)
※接孩子放学:学校が終わった子どもを迎える

送(送る)の例文

我每天早上7点送孩子上学。 
(私は毎日朝7時に子どもを学校に送る。)

带(連れる)の例文

带孩子去公园。
(子供を連れて公園に行く。)

领(引き連れる)の例文

领着学生去体育馆参加比赛。
(学生を引き連れて試合に参加に体育館に行く。)

等(待つ)の例文

别着急,等我来。
(焦らないで。私が来るのを待ってて。)

轮到(~の番になる)の例文

轮到我上场了。
(私が出る番になった。)

兼語文を使う理由

「有」の兼語文の場合

「ここにダンスをしている人がいる」の中国語は?と聞かれると、大半の人が思い浮かべるのは兼語文の「这里有人在跳舞」ではなく、日本語と同じの語順の「这里有在跳舞的人」ではないでしょうか。

しかし「这里有在跳舞的人」は文法的には間違っていないものの、不自然な文なんです。

ではなぜ「这里有在跳舞的人」ではなく、兼語文の「这里有人在跳舞」を使う方が自然なのでしょうか。また、兼語文はいつ使うのでしょうか?

「ここにダンスをしている人がいる」を例にとって見ていきましょう。

①这里有在跳舞的人。
②这里有人在跳舞。

まず②の方が1文字分短いことはわかりますでしょうか?伝わる情報量が同じなら、短い(=効率がいい)文の方が好まれ、長い(=効率が悪い)文は嫌われます。

そして、中国語では「動詞+的」あるいは「動詞文+的」で作る修飾部があまり好まれず、それを使わずとも成立する文があるなら、そっちの方が使われるようになります。

例えば、以下の例を見てみましょう。

我有一个九岁的喜欢看电影的弟弟。
私には一人の9歳の映画を見るのが好きな弟がいる。

この文章は文法的には完璧ですが、不自然です。これよりも、次のいずれかの文章の方がすっきりして自然とされています。

①我有一个九岁的弟弟,他喜欢看电影。
(私には一人の9歳の弟がいて、彼は映画を見るのが好きだ。)
②我的弟弟今年九岁,喜欢看电影。
(私の弟は今年9歳で、映画を見るのが好きだ。)

①は「喜欢看电影的」の部分を修飾部にせず、後ろで単独の文で表現しました。
②は「九岁的」と「喜欢看电影的」の両方を「的」を使わないものに書き換えました。

①と②はどちらも「喜欢看电影的」の部分を「的」を使わない方法で書き換えることによって、不自然さを取り除きました。

「九岁的」の部分は「名詞+的」なので、そのまま残してもさほど気になりませんが、「喜欢看电影的」は「動詞文+的」からなる修飾部のため、取り除かないとどうしても気持ち悪さが残ります。

話を「ここにダンスをしている人がいる」の文に戻しますが、

①这里有在跳舞的人。
②这里有人在跳舞。

①には「在跳舞+的」という「動詞+的」からなる修飾部がありますね。それを「的」を使わずとも表現できる②が存在するから、②の方が使われるようになります。

さらに、これは「動詞+的」修飾部が気持ち悪い理由でもあるのですが、「这里有在跳舞的人」はわかりにくく、「这里有人在跳舞」の方が分かりやすいのです。

なぜなら「这里有人在跳舞」の方が文の骨組みであるSVO(主語+動詞+目的語)が先に揃って、聞き手に安心感を与えるからです。まず安心させてから、補足情報を言った方が分かりやすいです。

一方で「这里有在跳舞的人」は最後まで聞いてようやくSVOが全部揃います。これはかなりリスキーな話し方で、場合によっては人に負担を感じさせることがあるのです。

「这里有在跳舞的人」はまだ短い方なのでそれほど負担を感じさせることはありませんが、例えば以下のような文を会話で耳にする人はどんな心情を持つのでしょうか。

这里有一个来自欧洲的喜欢开派对的在跳舞的人。
ここには一人のヨーロッパから来たパーティをするのが好きなダンスしている人がいる。

いかがでしょうか?私なら、「来自欧洲的」まで聞いたら「え、まだ終わらないの?」となり、「喜欢开派对的」の「的」を聞いたところで最後まで聞く気が失せる自信があります。情報量が多すぎて、最後まで聞いても全部覚えられるはずがありません。

これを分かりやすく伝えるためには工夫する必要があり、その一つが「兼語文」を使うという手段です。

这里有一个人在跳舞。他来自欧洲,喜欢开派对。
ここに一人のダンスしている人がいる。彼はヨーロッパ出身で、パーティーをするのが好きだ。

格段にわかりやすくなったと感じませんか?これが「有」の兼語文を使った効果です。

「有」兼語文を使う理由まとめ
  1. 兼語文を使う方が、文字数が短くて済む。
  2. 兼語文を使うことで、「動詞+的」あるいは「動詞文+的」の使用を回避できる。
  3. 兼語文を使う方が、文の骨組みであるSVOが先に揃い、聞き手への負担が少ない。

他の兼語文の場合

「有」の兼語文を使う理由について解説しましたが、「没有」の兼語文も同じ理由から用いられています。しかし、他の兼語文はどうでしょうか?

使役文と受身文

まず使役文と受身文に関しては、「使役文」と「受身文」の成立が兼語文の使用を必要とするため、兼語文を使う理由は説明不要かと思います。

感情の兼語文

好き嫌いなど感情を表す動詞の兼語文(以下、感情の兼語文)はどうでしょうか。まず、前述したように、感情の兼語文はすべて「感情が起こる理由」を説明しています。

例えば「感谢你帮我买东西」では感謝する理由を説明しているし、「老板怪他工作不认真」では責める理由を説明しています。

同じ意図を兼語文を使わないで表現するとしたら、以下のような文になるかと思います。

因为你帮我买了东西,所以我感谢你。
私のために物を買ってくれたから、私はあなたに感謝しています。

まず文章が長すぎるし、「因为」とか「所以」のところが理屈っぽくて、感謝の文章として距離感を感じさせすぎだと思いませんか?なので、まずはそれを削って短くしてみましょう。

你帮我买了东西,我感谢你。

これならだいぶすっきりした感じがしますよね。

でもまだくどく感じます。なぜなら、「你」が二回現れているし、「我」も二回も使う必要はありません。とすれば、後はどうすればよいでしょうか?

感谢你帮我买东西。

こうすればいいです。なんと兼語文になりましたね。

これは奇跡でもなんでもありません。感情の兼語文は元々「感情が起こる理由の説明」に特化した構文なので、無駄がなく、それゆえに気持ちが伝わりやすいんです。これが感情の兼語文を使う理由です。

その他の動詞の兼語文

その他の動詞で兼語文を使う理由は、「有」の兼語文とだいたい同じです。

例えば、

今天我去学校接孩子放学。
今日私が子どもを迎えに学校に行く。

という文は、「孩子(子ども)」が「接(迎える)」の目的語と「放学(学校が終わる)」の主語を兼ねているため兼語文です。

ちなみに「孩子放学」で「孩子」が主語だと聞くとしっくりこないのかもしれませんが、中国語では「主語」とは動作の主体というより、その動詞の前の位置にくる名詞、という位置づけです。「孩子放学」では「孩子」が「放学(学校が終わる)」の前に来ているので、「孩子」は主語だ、というふうに理解するとピンとくるかもしれません。

「有」の兼語文を使う理由を再掲します。

「有」兼語文を使う理由まとめ
  1. 兼語文を使う方が、文字数が短くて済む。
  2. 兼語文を使うことで、「動詞+的」あるいは「動詞文+的」の使用を回避できる。
  3. 兼語文を使う方が、文の骨組みであるSVOが先に揃い、聞き手への負担が少ない。

「接」を使った兼語文、「今天我去学校接孩子放学」でも全く同じことが言えます。

なぜならここで兼語文を使わなければ、「今天我去学校接放学的孩子」になり、文字数が長くなってしまうし、「動詞+的」の構造が入ってしまうし、SVOが揃うのが遅れるからです。


ニャース

今回は、兼語文の意味と種類、作り方、そして使用する理由について説明して参りました。兼語文に関する理解が深まれば幸いです。

また、よく兼語文に使う動詞と例文を以下のPDFにまとめたので、ぜひダウンロードして兼語文の学習にお役立てください。(資料を作成完了後に別途添付します)


迷わず、挫折せずに中国語を学びたいという方は、自分にあった学習方法をプロの中国語学習コーチに相談することがとても有効です。無料カウンセリングを実施していますので、ぜひ一度相談してみてください。

無料学習相談受付中

無理な勧誘など一切ございませんので、是非一度コーチとお話しください。

ABOUT US
ニャース
日本語・韓国語を独学で学んだ中国語ネイティブ。語学が大好きで、某語学学習アプリ制作会社で教材開発に一年半ほど携わった後、日本で留学をするために退職。趣味は翻訳、ゲーム、将棋など。「好きなことで生き、好きなことをやって人の役に立つ」がモットー。ライターとしても、学習者の役に立つことを強く意識して執筆、活躍中。